ラーメンも人間関係も「あっさり」が好き

ラーメンも人間関係も「あっさり」が好き

ラーメンの好みと人間関係は育った環境に起因すると考えている。

あっさりが好い


ラーメンの好みは人それぞれ。

自分の場合は、親が転勤族で東北地方を点々としていたため、小学生の頃に慣れ親しんだ「酒田ラーメン」や「津軽ラーメン」が好みのベースになっている。

選択肢の多いチェーン店なんかで迷った場合、基本的に「醤油味」を選ぶ。

大学生の頃、福岡県出身の知り合いに聞いたら、そもそもラーメンといえば「豚骨」一択で、県外に出るまでラーメン屋のメニューで「味噌」や「塩」といった表記を見たことがなかったと言われた。

これはなかなかカルチャーショックだった。

おかげで、グーグルマップで他人のラーメンの評価を見かけるときには、「この人の味のベースになっているラーメンは何なのか?」と考えるようになった。

人間関係に対する感受性も、生まれ育った環境に起因する(予測)


たまにドラマや映画で、背脂マシマシのコッテリな人間関係を求める人の姿を目にすると、「胃がモタれないか」心配になる。

そして大抵、登場人物たちは思惑がすれ違ったりして、いざこざが発生して、バタバタする。

単純にキャラクターの味付けや設定を濃厚にしておかないとドラマが展開しないからだろうけど。

「人と関わるより、コード書いているほうが好きです!」なんていう人がカメラの前に出てきても、ドラマが発生しないまま完結してしまう。

これまでの印象


人間関係も「都会的」な感性の人(出身地は問わず)は、割となんでも「人間関係」ありきで考える傾向があるように思う。

そしてバシバシ相手の人格に関する評価を下していく。

自分の場合は、相手との間に、「仕事」の話題であったり、「好きな漫画」「好きな音楽」なんて話題をクッション代わりに挟んでコミュニケーションするほうが、お互いに気楽で心地良いように感じる。

互いに違う部分も、共通認識も、同じくらい尊重していたい。

もちろん、一概には言えない


人の悩みのほとんどは「人間関係」によるもの、なんて言われる。

けれど、思い悩むことが「人間関係」だけになった場合、たいてい袋小路なので、人間として生きていくのは大変だろうな、とは思う。

それより、ランニングしたり、サウナに行ったり、コードを書いたり、読書をしたりするほうが、よっぽど気楽なのになと個人的には思う。

人と向き合う時間も、物や出来事と向き合う時間も、人には大事。

まあ、何事も人それぞれなので、ラーメンも人間関係も、一概に言うことは避けるようにしたい。